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 2013年9月15日〜21日台湾歴史地区と温泉めぐり  ≪2≫  台湾の旧首都・台南へ
淡水/北投温泉 台南 高雄 台中/日月譚 台北/九分 台北街歩き)
台北・新北投温泉 瀧乃湯、日本統治時代に建てられた。築約100年、木造・平屋建て瓦葺きの純日本的建築。 台湾・高鉄(新幹線)台北〜台南 高雄・蓮池潭 蒋介石も愛した日月譚 台北郊外九分・千と千尋の神隠し舞台モデル 台湾名物マンゴーカキ氷
2013年9月16日
新北投温泉
台北
高鉄/台南駅
台鉄/沙崙駅
沙崙車站(台鉄/台南駅)
台南遠東国際大飯店
(ホテル/シャングリラ)
台南市内歴史地区
街歩き
台南遠東国際大飯店
(ホテル/シャングリラ)

北投駅からMRT(台北地下鉄)で台北駅へ
K&MSecond Life

台湾高鉄・台北〜台南チケット予約票/11:00⇒10:00発に変更してもらう。

台湾高鉄・台北〜台南チケット2230x2NT(1等シニア半額料金\15600)

台北駅でインターネット予約していた高鉄(台湾新幹線)台北〜台南のチケット受取りにチケット売場へ行く。
11:00発を予約していたが、10:00発の列車に間に合いそうなので変更を申し出ると、日本語を話す係員でとても親切に気持ちよく変更発券してくれた。

台湾高鉄(新幹線)車内

発車5分前、大急ぎで2番線ホームへ。
6号車CD席。


10:00 時間通りに発車。
この区間は一等車なので飲物とクッキーの車内サービスがある。 お水とコーヒーをもらう。
高鉄/台南駅へは2時間もかからないで11:43到着。台南市内へは普通電車に乗換え


新幹線の改札を抜け左エスカレーターを降りた先が普通電車の沙崙車站(台鉄)でそのから普通電車に乗る。
台鉄/台南駅へ20分ほどで到着。


ホテル・シャングリラは電車を降りると台南駅のホームから見える。
駅のまん前。

チャイナドレスの女性スタッフ
シャングリラホテル3202号室ルームキー

チェックインして、横にスリットの入ったチャイナドレスが可愛い女性スタッフが部屋を案内してくれた。日本には行ったことがないというが日本語を上手に話す。
部屋は3203号室。大きくきれいな部屋だった。

台南遠東国際大飯店(シャングリラホテル)3202号室

部屋に荷物を置いたら、早速台南街歩きに出発する。
ホテル前の台南駅地下通路を抜けて駅正面にでて大通り「成功路」を真っ直ぐ進む。

ホテルすぐ前は台鉄/台南駅裏口

台南市内は雨が多いせいか何処に行ってもアーケードになっている。
しかし、いたる所 段差が多くうっかり注意が散漫になっているとすぐつまづいてしまう。
何度もつっかかって転びそうになりながらだが街歩き何処に行っても楽しい。


旅行する前には全く知識のなかった台湾だが、9月19日は中秋節といい三大節句のひとつ(日本では十五夜)で月餅を贈りあう大切な日なようだ。


お寺の近くはどこも中秋月でお祭りムード。

成功路に面し寺院・興済宮

成功路興済宮。 このお寺をお参りした後、裏道を抜け民族路に出たところに、台南で観光の一番にしていた「赤嵌楼」がある。

赤嵌楼
赤嵌楼(せきかんろう)は別名を赤嵌楼、紅毛楼 とも称し、台湾台南市中西区に位置する、オランダ人によって築城された旧跡である。1653年にオランダ人と漢人の衝突事件である郭懐一事件」(1652年)の後に築城された。鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となった。現在は中華民国内政部により国家一級古蹟に指定されている。1624年、澎湖を拠点に明と争っていたオランダと明の間に講和が成立し、オランダは澎湖の経営を放棄し、その代替地として台湾南部に上陸し商館や砲台を築城した。オランダ人による台湾統治では漢族移民や平埔族に対し厳しい統治方式を採用した。そのため漢人の不満が爆発、1652年には「郭懷一事件」が発生した。この事件は間もなく鎮圧されたが、オランダ人は事件の再発を防止するために「普羅民遮街」の北方建に「プロヴィンティア」を建築した。周囲約141m、城壁高さ10.5mの城砦には水源が確保され、食料が備蓄されるなど、有事の際の防衛拠点都として準備され、漢人はこの城砦を赤?楼或いは紅毛楼と称した。1661年4月、鄭成功がオランダ人に通事として雇用されていた漢人何斌の誘導により鹿耳門を通過、台江内海を越えてプロヴィンティアを攻撃した。城砦を攻略した鄭成功は普羅民遮城を東都明京と定め、承天府を設置した。ここに9ヶ月滞在した鄭成功はゼーランディアを攻略、ここに38年におよぶオランダ統治は終焉を迎えた。オランダの投降後、鄭成功はゼーランディアを「安平鎮」と改称し鄭氏の居城とし、既に東都承天府と改名されたプロヴィンティアと共に、台湾の最高業機構を構成した。しかし半年後に鄭成功が病没すると、世子鄭経は1664年に東都を廃し、「東寧」と改称「東寧国王」を自称するようになった。承天府が廃止されると、赤?楼は火薬貯蔵庫として用いられるようになった。1721年、朱一貴が清朝に対して反乱を起こすと、赤?楼の鉄製門額が武器鋳造の材料とされた。その後も人為的な破壊、風雨による侵食、地震による被害を受け赤?楼は周囲の城壁を残すのみにまで荒廃した。19世紀後半、大士殿、海神廟、蓬壷書院、文昌閣、五子祠などが赤?楼の跡地に再建され昔日の様子を取り戻すようになった。日本統治時代には海神廟と文昌閣、五子祠は病院及び医学生の宿舎として利用されている。1921年、台湾総督府により大士殿の解体修復が行なわれた際、プロヴィンティア時代の堡門が発見され、また東北部からはオランダ時代の砲台跡が発掘され、歴史館が設置された。戦後は更に修復が行なわれ、台南市立歴史博物館へと発展している。1974年には再び大規模修復が実施され現在の外観となり、1983年に内政部により国家一級古蹟に指定され現在に至っている。















正門をくぐった先の鄭成功に降伏するオランダ人」の銅像。


赤嵌楼から裏通りを抜けたところにあるお寺は由緒あるお寺「大天后宮」
大天后宮・由来
お寺の案内より抜粋
国家一級古跡に認定されている大天后宮のご利益はかなりのものだそうで、遥か海の彼方から祈願するために訪れる人たちもいます。台南大天后宮は、もともとは1664年に建てられた明朝王族の寧靖王朱術桂の府邸でしたが、1684年に媽祖廟と改築され、名前も大天后宮へと改名されました。1818年、火災によって、建物や文物は焼失しましたが、1830年に再建され、現在の姿となっています。
大天后宮は、実は海の守護神かつ万能の女神とされる媽祖(天上聖母)を祀った台湾最古の媽祖廟としての方が有名で、多くの参拝者が訪れます。媽祖は、海の事故が起こらないよう航海の安全を守る神様とされています。願い事をかなえる力が強かったため、しだいにあらゆる願いをかなえる神様として、信仰されるようになりました。台湾全土に数百の廟があり、台湾で最も信仰されている神様でもあります。大天后宮の隣には、同じく古跡に認定されている祀典武廟があり、こちらにも月下老人がいらっしゃいます。受付で許願文に氏名、生年月日、住所などを書いて、金紙を購入してからお参りを始めてください。

大天后宮から民生路〜南門路へ。
1665年創建された台湾最古の孔子廟。門には「全台首学」つまり台湾儒学発祥の地だ。
大正12年昭和天皇が皇太子時代に訪れている。台北の北投温泉にも歴訪記録があったがその時ここにも来ていたのだ。


孔子廟から府前路を左に折れてしばらく行くと日本人の母を持つ台湾の英雄「鄭成功」を祀る延平郡王祠。鄭成功は父鄭芝竜と日本人の母・田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした。

延平郡王祠/鄭成功を祀る祠(開山王廟)
延平郡王祠/鄭成功を祀る祠(開山王廟)
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。中央に鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(日本人の母・田川松)の位牌が安置されている。歴史上の鄭成功は、自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、台湾と関連していた時期も短かったが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いた。その為、父鄭芝竜と日本人の母・田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした鄭成功は今日では台湾人の宥和的精神の支柱・象徴(開発始祖または「ピルグリム・ファーザーズ」)とされている。

鄭氏母子像(鄭成功廟)
延平郡王祠/鄭成功を祀る祠(開山王廟)

台湾建国の基礎を築いた 「鄭成功」の母は九州平戸の人だった。
日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた。成功の父、芝龍は福建省の人で、藩主 宋陽隆信の寵をうけ川内浦に住み、田川マツをめとり二子を生んだ。福松と七左衛門と名付けた。母マツが千里ヶ浜に貝拾いにいき、俄に産気づき家に帰る暇もなく、浜の木陰の岩にもたれて出産した。この男児こそ、福松少年であり、後の鄭成功である。幼い頃は平戸で過ごすが、7歳のとき父の故郷福建につれてこられる。鄭一族はアモイなどの島を根拠に密貿易を行って、政府軍や商売敵との抗争のため私兵を擁し武力を持っていた。15歳のとき、南京で東林党の銭謙益に師事。
1644年、明は滅んで順が立った。都を逃れた旧 明の皇族たちは各地で亡命政権を作った。鄭芝龍らは唐王朱聿鍵を擁立した。鄭森は父の紹介により隆武帝の謁見を賜る。帝は眉目秀麗でいかにも頼もしげな鄭森のことを気入り、「朕に皇女がいれば娶わせるところだが残念でならない。その代わりに国姓の『朱』を賜ろう」と言う。それではいかにも畏れ多いと、森は決して朱姓を使おうとはせず、自ら鄭成功と名乗ったが、以後人からは「国姓を賜った大身」という意味で「国姓爺」(「爺」は「御大」や「旦那」の意)と呼ばれるようになる。隆武帝の軍勢は北伐を敢行したが大失敗に終わり、隆武帝は殺され、鄭芝龍は抵抗運動に将来無しと見て清に降った。父が投降するのを成功は泣いて止めたが、芝龍は翻意することなく、父子は今生の別れを告げる。その後、広西にいた万暦帝の孫である朱由榔が永暦帝を名乗り、各地を転々としながら清と戦っていたのでこれを明の正統と奉じて、抵抗運動を続ける。そのためにまず厦門島を奇襲し、従兄弟達を殺す事で鄭一族の武力を完全に掌握した。1658年、鄭成功は17万5千の北伐軍を興す。軍規は極めて厳しく、殺人や強姦はもちろん農耕牛を殺しただけでも死刑となり、更に上官まで連座するとされた。鄭成功は温州で軍を再編成し、翌年の3月25日に再度進軍を始め南京を目指し、途中の城を簡単に落としながら進むが、南京では大敗してしまった。鄭成功は勢力を立て直すために台湾へ向かい、1661年に台湾を占拠していたオランダ人を追放し、承天府及び天興、万年の二県を、澎湖島には安撫司を設置して本拠地とするも、翌年に死去した。その後の抵抗運動は息子の鄭経に引き継がれる。台湾台南市には、1663年に鄭経が鄭成功を祀った鄭成功祖廟がある。国共内戦に破れて台湾に敗走した中国国民党にとって、いきさつの似ている鄭成功の活躍は非常に身近に感じられており、中華民国海軍のフリゲートには成功級という型式名がつけられている。歴史上の鄭成功は、彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かったが、鄭成功は中国台湾独自の政権を打ち立て台湾開発を促進する基礎を築いたことも事実である為、鄭成功は今日では中国人の不屈精神の支柱・開発始祖として社会的に極めて高い地位を占めている。


延平郡王祠/鄭成功を祀る祠(開山王廟)

お守りを買う

延平郡王祠から東門円環(ロータリー)を通って台南駅前ホテルに戻る。

北門路一段、台湾はバイクが異常というくらいに多い

帰って今日の歩行数を見ると、14480歩約9.5q。

18時〜10階レストランで夕食

ヴッフェ。お刺身も新鮮でローストビーフが美味しかった。Mは大好きな中華料理だが自分はどうも苦手。
宿泊客以外に近隣から食事に来る家族連れがとても多いようでホテルレストランらしからずとても賑やか。

部屋の前の円形廊下からは下に2階のカフェが見える。

台南の夜景は静かでひっそりしている。



9月17日(3日目)高雄に移動する朝、早起きしてホテル前に広がる公園のような国立成功大学キャンパスを散策。
2013年9月17日
成功大学キャンパス
台南遠東国際大飯店
(ホテル/シャングリラ)
台鉄/台南駅
台鉄/高雄駅

国立成功大学は日本統治時代創設された台南高等工業学校が前身で大学名はやはり鄭成功にちなんでいる。


キャンパス敷地内の大きな池は「成功湖」。


成功湖・鄭成功像

大学名もそうだが、日本と関り深い鄭成功は台南の英雄なのだ。


台湾の人は(中国もそうだったが)早起きだ。大学キャンパスの広場はいたる所、朝6時というのに、散歩する人、体操する人、スポーツする人、などいっぱい。


放し飼いの犬が多い

近くの広場で日式(日本式)ラジオ体操をする。

大学グランドの向こうに見えるホテルシャングリラ。

ホテルに戻ってシャワー。
8:00〜夜と同じ10階レストランで朝食。

朝の散歩の帰りロビーに飾られた人形に見入ってしまったが、食事の帰りそのうちの一つを4800NTで購入する。
2013年9月17日
成功大学キャンパス
台南遠東国際大飯店
(ホテル/シャングリラ)
台鉄/台南駅
台鉄/高雄駅


人形代の支払いと一緒にチェックアウト手続きみする。

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